イシククル湖をヒッチハイクで一周してみた。【ユーラシア大陸横断編】

キルギス
タビートニク 〜世界放浪記〜

双子(りく&ゆうだい)で世界を放浪中。
2023年2月から10カ月かけて主にヒッチハイクを駆使しながらユーラシア大陸を横断、現在は南米大陸を縦断中。
旅の様子はYouTube(下記リンクから)で配信しています。
XやInstagramもしているのでフォローをお願いします!

Follow Me!!

どーも、双子で世界放浪中のタビートニクです。

このブログは、りく(@riku_tabeatnik)とゆうだい(@amoramen_film)で運営しています。

今回は、キルギスにある美しい湖「イシククル湖」を紹介します。

イシククル湖を目指して

数日滞在したビシュケクをあとに、ヒッチハイクでイシククル湖を目指すことになりました。

歩いて、ヒッチハイクしやすそうなガソリンスタンドを見つけました。そこでいよいよヒッチハイク開始!!なんとものの10分でヒッチハイク成功。郊外まで送ってくれました。

ほとんど苦戦することなく、その後も2〜3台乗り継ぎ、イシククル湖の入り口「バルイクチ」という街に到着しました。キルギスで初のヒッチハイクだったので、どうなるか不安だったんですが、キルギス人の優しさですんなりイシククル湖の端っこに到着できました。

イシククル湖の玄関口「バルイクチ」

キリル文字で書かれたトイレ。

バルイクチはたくさんの巨大コンテナが並べられていて、その一つ一つがお店になってます。例えばこのコンテナはトイレになってます。

最安のショルマ。

ここバルイクチはこれといった見所はないので、レストランでキルギスのケバブ「ショルマ」を食べてヒッチハイクを再開しました。ちなみにショルマの値段は130ソム(約210円)でした。

当初は、イシククル湖だけを見れればいいかなと思っていたんですが、結局ノリで湖を1周することにしました。

バルイクチから乗せてくれた方

レストランを出て早速、ヒッチハイク再開!!

そしてすぐに成功!!途中の小さな村まで送ってくれることになりました。

その後村で小一時間、車を待ちました。

だいぶ時は流れ、そしてついに救世主が現れました。大型トラックを運転してる青年が「乗っていきな」と。本当にありがたい。

湖畔で野営

トソル」という小さな村の少し手前まで送ってもらい、日も沈みかけていたので、そこで野営をすることにしました。

お腹も空いていたので、トラックの運ちゃんと湖の辺りでインスタントラーメンを調理。自然で食うインスタントラーメンは本当に最高!!イシククル湖に沈む夕日を見ながらチル、最高すぎる。

ラーメンをしばく
同い年の運ちゃん

お腹もいっぱいになったので、近くにあった橋の下にテントを張って、寝床の準備。

火を焚きながら寝ることに。

トラックの運ちゃんが野生の狼が出ると言っていたので、火を焚きながら寝ました。

この辺は狼が出るらしいです。恐ろしい…。

野生の馬の行進。

翌朝イシククル湖を歩いていると野生の馬に遭遇。おいゼルダの伝説かよ、一匹手懐けて一周するぞ…。そんな事はもちろん無理なので、車が来るまでひたすら歩き続けました。

小一時間歩いていると、ついに車が止まってくれました。

そして第4の都市「カラコル」まで向かうことに!!

第4の都市「カラコル」

そして遂にカラコルに到着!!カラコルでは数時間観光したので、見所を紹介していきます。

カラコル(別名:プルジェバリスク)はイシククル湖の東端に位置するキルギス第4の都市です。キルギス人の他、ロシア人やウクライナ人のスラブ系が人口の約20%を占めるほか、中国から逃れてきたウイグル人やドンガン人が多い多民族都市です。

激安、激ウマ「アシュランフー」

昼ご飯はヒッチハイクで乗せてくれた運ちゃんと行くことになりました。

商店街みたいなとこのローカルレストランで食事を取ることに。そこはアシュランフー専門店でアシュランフーと揚げパンみたいなのしか売っていませんでした。アシュランフーと揚げパンを一緒に食べるのが地元流らしい。

アシュランフーとは、ドゥンガン民族(中国系イスラム教徒)の料理です。酸味の効いたスープとうどんに似た冷たい麺とところてんに似た麺の2種類が入っています。

酸味の効いたピリ辛のスープに、ところてんみたいな麺ともちもち麺の2種類、中華風ところてんみたいな感じです。

これがめっちゃうまい!!しかも安い!!

ヒッチハイクで疲れた体を癒してくれました。値段は一杯60ソム(約100円)。結局もう一杯(夜飯用)テイクアウトしました(笑)

この辺が商店街になっていて、その中にアシュランフーのレストランがあります。

木造ロシア正教会

次にロシア教会へ向かいました。

1870年代に煉瓦で造られ、1880年に地震で倒壊した後、1897年に木造で再建されたのが現在の教会だそうです。

中は撮影禁止だったため写真はないんですが、キレイな装飾がされていてとても美しかったです。

元々は19世紀にロシア人によって建設された街カラコル。ソビエト時代、町の名称は「プルジェバリスク(Przheval’sk:Пржевальск)」と呼ばれていたそうです。

現在カラコルに住むロシア人の割合は1割ほどだそうです。

ドゥンガン・モスク

「ドゥンガン・モスク」は、清朝の迫害を逃れてカラコルにやって来た中国系イスラム教徒「ドゥンガン人」が1910年に建立したモスクだそうです。

カラフルなモスク

見た目はモスクっていうよりお寺っぽい。青や赤や黄色を使ったこのモスク、すごいカラフル!!

このモスクも木造建築で釘を一切使わずに建てられたそうです。

この後は大雨でカラコルの観光を中断し、とりあえずガソリンスタンドでヒッチハイクをしながら雨宿りすることに。

イシククル湖一周の旅については、Youtubeでも動画をあげてます。

恩人に出会う

イシククル湖で一番有名な街「チョルポンアタ」を目指すことに。寒さに耐えながら1時間たった頃、ようやくチョルポンアタまで送ってくれることになりました。

そして19時ごろチョルポンアタに到着!!がしかし、まだ雨降ってるし、天気予報では1週間雨マーク…。

次の日にイシククル湖の絶景を見たかったんですが、雨だったら仕方ない、よしカザフスタンに行こう!!予定変更して、早速ヒッチハイク開始。

そして辺りは暗くなっていき、なかなか車が止まらない。しかもめっちゃ寒いし。

数時間が経ち諦めてベンチで横たわっていたら、車が一台止まり、Google翻訳を使いながら話していると、どうやらこの辺に住んでる人らしい。

じゃあ無理かと諦めかけていたら、「うちの家くるか?」と声をかけてくれました。ヒッチハイクを諦めて野宿でもしようと思っていたので、お言葉に甘えて泊めさせてもらうことにしました。本当にありがたい。

泊まらせてくれた家の息子

家でもご馳走になって、こんなどこの馬の骨かもわからん奴らに優しくしてくれるなんて、キルギス人の優しさには感動です。

家にいた息子さんにアニメのスッテカーあげたら、めちゃくちゃ喜んで壁にぺたぺた貼ってました(笑)

フカフカのベッドで一夜を過ごし、翌日優しいファミリーたちとお別れ。

そして朝からヒッチハイク再開!!無事にヒッチハイクは成功し、イシククル湖一周の旅は終わりました。

今回二日間という短い時間で多くのキルギス人に助けられました。気さくで優しいキルギス人達。

本当にありがとう。また、この国を訪れたいなと心の底から思いました。

タイトルとURLをコピーしました